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東京地方裁判所 昭和47年(つ)8号 決定

請求人 坂本一

決  定

(請求人氏名略)

右の者から、加藤孝一を被疑者とする刑事訴訟法二六二条一項の請求があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一本件請求の要旨

一  請求人は、昭和四六年一二月一五日、左記被疑事実につき被疑者伊藤こと加藤孝一を東京地方検察庁検察官に告訴したところ、同庁検察官は、昭和四七年四月二八日嫌疑がないという理由で不起訴処分にした。請求人は同年五月四日その旨の通知を受けたが、右処分には不服であるので、刑事訴訟法二六二条により、右事件を東京地方裁判所の審判に付することを求める。

二  被疑事実の要旨

被疑者伊藤こと加藤孝一は、警視庁巡査であつて警視庁渋谷警察署中通り派出所に勤務し、警察官としての職務に従事しているものであるが、昭和四六年六月二三日午後二時ころ、東京都渋谷区東二丁目二二番付近路上において、通行中の請求人坂本一(当時三八年)に対し、右同所付近で強盗事件が発生したからといつて職務質問を行なつた際、同人の腕を掴んで引張り、あるいは足をかけてその場に倒そうとするなどの暴行を加え、無理矢理請求人を同所から同区東二丁目二三番所在の右中通り派出所まで連行し、もつてその職権を濫用して請求人を不法に逮捕したものである。

第二当裁判所の判断

東京地方検察庁検察官は、昭和四七年四月一八日、請求人の告訴にもとづく加藤孝一に対する前記被疑事実(刑法一九四条)につき嫌疑なしとして不起訴処分にしたことは本件記録により明らかである。

そこで本件請求の当否について判断するに、一件記録ならびに事実調べの結果を総合すると、昭和四六年六月二三日午前九時ころ、警視庁渋谷警察署に対し、管内の国学院大学学生小林裕幸から、同大学写真部室において、カメラ二台(ミノルタSRT一〇一、アサヒペンタツクスK)が同月二一日午後四時ころから同月二二日正午ころまでの間に盗難にかかつた旨の盗難被害届があつたため、同署の捜査第二係司法警察員巡査部長江頭利昭および同巡査今征夫の両名が、その捜査にあたつていたところ、管内の東京都渋谷区東二丁目二一番八号所在古物店「ナカラム」の主人本吉正夫から、「坂本なる男が、けさ自分の留守中に不審なカメラ二台を売りに来た。代金はあとで取りに来るといつてカメラを置いて帰つた。」との連絡を受けたため、同巡査部長らは、直ちに右「ナカムラ」に急行して右カメラを調べてみたところ、その品名、型式等が前記盗難被害届のあつたカメラに酷似していたため、ここに右坂本に対する窃盗の容疑が強まり、同巡査部長らは、その任意提出を受けるとともに、右本吉に対し再度坂本が来たらすぐに渋谷署に連絡するよう依頼して、被害確認を受けるべく帰署したこと、同日午後三時三一分ころ、右本吉から、坂本が来るといつてきたとの連絡を受けた右江頭、今、ほか一名の警察官は、直ちに捜査用の車で右「ナカムラ」に急行し、右坂本が現われるのを待ち受けたこと、被告訴人加藤孝一は、警視庁巡査であつて警視庁渋谷警察署警ら第二係に所属し、同都渋谷区東二丁目二三番所在の同署中通り派出所に勤務していたものであるが、同日午後三時三六分ころ、本署警ら第二係の木次巡査部長より、同派出所管内の前記「ナカムラ」に窃盗被疑者らしき男が立ち寄るから、張り込み、職務質問せよとの指示を受けたこと、同被告訴人は同日午後四時七分ころ、同区東二丁目二二番東都典範株式会社先路上において、請求人坂本一とたまたますれ違つたが、その際右請求人の挙動に不審を抱いたため、これを呼び止め、右東都典範前路上において、その氏名、職業、行先等について職務質問を開始したこと、右の職務質問に対し、請求人は自己の名刺を手渡してその氏名等は明らかにしたものの、その余の質問に対してはことさらこれを避けようとする態度を示し、さらには再び歩き出してその場から立ち去ろうとする気配を見せたため、被告訴人は、なお一層右請求人の態度に不審を抱き、さらに、職務質問を続ける必要を認めて、「もう少しききたいことがあるから待つて下さい。」などと言いながら軽く肩に手をかけて停止を求めたが、請求人がこれにとりあわなかつたため、約一〇〇メートル位進んだところで、その前面に立ち塞がつて停止させ、所持する鞄の中味の提示を求めたこと、これに対して、請求人は一時これを拒否していたが、被告訴人の説得によりようやくその中味を見せたものの、在中物は請求人の述べた書類のほかに、ラジオらしいものが入つており、同巡査からさらにそれについて追求を受けると、友人から借りてきたなどとあいまいな説明をするなど、同人の態度には不審な点が多かつたため、被告訴人はさらに質問を続行する必要を認め、かつ同所が人通りの白昼の公道でもあつたことから、約一〇〇メートル離れた中通り派出所まで同行を求めたこと、右同行の要求に対し、請求人は当初「用があるなら夜来てくれ。」などと答えて、これを拒否する態度を示していたが、被告訴人が後方から肩を軽く押したため、ようやく派出所の方に向つて歩き出し、そこで被告訴人もまたこれと並んで派出所に向つたこと、ところが、右中通り派出所前の交差点に至つた際、突如、請求人が「俺は帰る。」と言いながら反転して右派出所とは反対の方向に走り出したため、被告訴人は請求人が逃走するものと直感し、約五、六メートル追いかけてその前面に立ち塞がり、これを停止させたうえ、派出所内に原田巡査の姿を認めて、通行人に「お巡りさんを呼んでくれ。」と声をかけたところ、請求人は渋々再び右派出所の方に向つて歩き出したこと、同派出所に到着後、被告訴人は請求人を椅子にかけさせ、その後三、四分して同所にやつて来た前記今巡査が、請求人に質問して、請求人が「坂本」であることを認めたので、前記本吉に確認させたうえ本署まで同行を求めたところ、請求人はこれを承諾して前記捜査用の車に乗り込んだこと、本署に到着後は、前記江頭が二階第三取調室において請求人の取調べにあたつたが、請求人が本件窃盗の被疑事実を認めたため、右江頭は同日午後五時三〇分ころ、被害確認を得たうえで請求人を緊急逮捕したこと、以上のような諸事実を認めることができる。

ところで、請求人は、前記第一の二記載のとおり、被告訴人加藤が請求人の腕を掴んで引張り、足をかけるなどして無理矢理派出所へ連行した旨主張し、当裁判所に対しても同旨の供述をしているけれども、被告訴人は右のような事実はこれを否認しており、右事実を確認するに足る証拠はない。

そこで、前記認定のような請求人同行の方法が任意同行の範囲を逸脱し、実質的に逮捕にあたるか否かについて検討するに、右は結局のところ、請求人に対して同行の際に逮捕と同視しうる程度の強制力が加えられていたか否かによつて決せられるべきものと解されるところ、成程、(1)被告訴人が、職務質問開始後約一〇〇メートル請求人に追尾し、さらに請求人の肩を押して派出所の方に行くよう促していること、(2)途中請求人が同行を拒否して逃げ出そうとするやこれを追いかけ、その前面に立ち塞がつて停止するのやむなきに至らしめていること、(3)その際、被告訴人は通行人に向つて「お巡りさんを呼んでくれ。」と声をかけていること、(4)さらに派出所から本署に向う際は、請求人を自動車の後部座席中央に乗せ、その回りに警察官四名が同乗していること、等の諸事実はこれを認めるに難くないけれども、しかし、右(1)については、請求人自身検察官に対して「B地点では肩に手をかけられた程度で暴行という程のものではありません。」と述べており、また右(2)についても、それ自体警察官職務執行法二条に違反する違法な行為と解すべき根拠はなく、さらに、右(1)ないし(4)の諸事情を併せ考えても、いまだ逮捕と同視しうる程度の強制力が加えられていたとは認めく、他方、一件記録ならびに事実調べの結果を総合すれば、(1)現場は比較的人通りの多い公道で、しかも時刻は午後の四時ころであつたこと、(2)同行を求めた場所はわずか約一〇〇メートルの距離にある最寄りの中通り派出所で、同行した警察官も被告訴人ひとりであつたこと、(3)請求人は渋々ながらも一応任意に鞄の中味を見せていること、(4)同行の方法も、被告訴人と請求人が並んで歩くというもので、途中被告訴人と請求人との間に会話があつたことは請求人も認めるところであること、(5)派出所に到着後、請求人が同行の方法を批難し、あるいは退去しようとする素振りを示した形跡は窺われず、却つて、本署への同行を承諾して車に乗り込んでいると認められること、(6)なお、請求人が本件窃盗罪を犯したものであることは、請求人みずからこれを認めて争わないこと、等の諸事実が認められるのであつて、以上の諸事情を総合考慮すると、請求人が被告訴人から同行を求められて以後、その意を翻して本件同行を拒絶することがもはや著しく困難であるような不当な強制力が被告訴人から請求人に加えられていたものとは到底認められず、本件中通り派出所への同行は、社会通念上なお請求人の自由意思によるものというべく、請求人の前記主張も、ひつきようみずから進んで派出所に同行する意思まではなかつたとするにとどまり、いまだ右認定を左右するには足りないのである。

以上述べたとおりであつて、被告訴人加藤孝一には、本件被疑事実についての犯罪の嫌疑が不十分であり、従つて、犯罪の嫌疑がないとして公訴を提起しないとした検察官の本件不起訴処分は正当であるから、本件請求はその理由がないものとして、刑事訴訟法二六六条一号により、これを棄却することとする。

よつて主文のとおり決定する。

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